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チャップリンが日本贔屓であった理由とは?「名言 最高傑作」

チャップリンが日本贔屓であった理由とは?「名言 最高傑作」

 

チャップリンの好きな言葉を調べていたら、チャップリンの秘書が日本人と知り、「なるほど!だからチャップリンは日本贔屓だったのか!」と腑に落ちた。

チャップリンが日本贔屓である理由とは?

チャールズ・チャップリン

Charlie Chaplin

イギリス出身の俳優、映画監督、コメディアン、脚本家。愛称はチャーリー。世界の三大喜劇王と呼ばれる

英国
1889年4月16日
1977年12月25日(享年88)

 

何度か、チャップリンは日本に来たことがあると、うっすら記憶があった。

今回は、チャップリンの好きな言葉がちょっと気になったので調べていたんです。

まずは、何を調べようとしたのか?

チャップリン 名言 英語 ライムライト

映画「ライムライト」でチャップリンがバレリーナに励ます言葉。とても有名なセリフです。お金は少しでいいけれど、勇気と想像力さえあれば人生は素晴らしいものに変わる、と力強いメッセージを残しています。チャップリン自身が様々な経験を積み、そこから出てきた言葉なのではないかと思います。

 

Life can be wonderful if you’re not afraid of it. All it takes is courage, imagination… and a little dough.

 

 

Life can be wonderful if you’re not afraid of it.⇒人生を恐れなければ、それはきっと素晴らしいものになる。

は分かるんですが、

次の解釈が腑に落ちないんです。

All it takes is courage, imagination… and a little dough.

All it takes is:全てallそれit必要なのはtakesですis ⇒ 必要なのは・・・だけ!

courage:勇気

imagination:想像力、希望 ⇒ 夢?

a little dough:こね粉,パン生地,ドウ《俗語》 金銭,現なま ⇒ ここでは、お金になるそうです。(スラングになり日本語的には銭ゼニや!・マネーや!になるらしい。)

All it takes is courage, imagination… and a little dough.

この解釈のしかたが次になります。

 

  1. 「人生とは、希望と勇気とサムマネー」
  2. 「人生に必要なのは、夢と勇気とサムマネー」
  3. 「必要なのは勇気とイマジネーションと…それと、少しのゼニだ。」

 

  1. は希望のゴロがイマイチ
  2. は一番しっくりくるけど「」にしていいのか?が疑問に残る
  3. は乱暴だよね。映画「ライムライト」チャップリンがバレリーナに励ます言葉じゃないよね。でも、悪くない。
  • 人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。

まだ疑問があります。

ココでのゼニの解釈のしかた

  1. わずかなお金:少しのお金:サムマネー(そもそもサムマネーの言葉がない)
  2. お金よりも的な解釈

 

  1. 人生には、わずかなお金があれば
  2. 人生は、お金よりも夢と勇気が大切!的な。。。分かる気がするけど、考えすぎかな。

 

  1. が、しっくりきますね。
  2. だと、少しのお金 a littleを使った意味が分からなくなります。

 

かなり横道にそれましたが、私の、引っかかっているところ、疑問が分かって頂けたでしょうか?まだ、腑に落ちないのですが、、、。

今日のところは、これで収めます。

人生は夢と勇気と・・・わずかなお金(サムマネー)があればやっていけるよ!

人生は夢と勇気を持っていれば何とかなるよ!・・・そして、わずかなお金(サムマネー)があればね!

「人生は、夢と勇気とサムマネー」に落ち着きました。

皆さんは、どうでしょうか?

 

チャップリンが日本贔屓である理由!その2

話を戻しますね。

チャップリンは、日本人を秘書にしていました。

「だから、日本贔屓なんです」

理由は、

「その日本人秘書がとっても働き者だったから。」

「その秘書がきっかけで、使用人も日本人にした。」

日本人(高野さんを)を信用していたようです。

その秘書の名前は「高野虎市さん」です。1916年から1934年まで18年間チャップリンと過ごしています。

始めは、車の運転手の募集がきっかけで、チャップリンの車の運転手をやり、秘書まで出世していきます。

しかし、

第二次世界大戦があり、日本人なので強制収容所に収容されます。それも8年間ですね。

また、秘書当時にチャップリンの奥様がかなりの浪費家であった為、チャップリンと奥様と喧嘩もしています。

「奥様を取るか、俺を取るか?」

困ったのは、チャップリンですよね。

高野さんは、それがきっかけで自ら秘書を辞任しました。

それから、チャップリンは何度も引き戻そうとしましたが、高野さんは戻ってこなかったそうです。

後にチャップリンは日本での映画の代理店を高野さんに譲っています。高野さんを好きだったのでしょうね。(このあたりは私も詳しくは書けませんので、分かり次第書きます。)

日本に来たのは、1932年の1回だけのようです。

戦争もあり、浪費家の奥様もあり、強制収容所に収容もあり、かなり波乱の人生ですね。チャップリンもアメリカの「赤狩り」でアメリカから離れました。

スイスに移住しています。

1972年にアメリカのアカデミー賞名誉賞に選ばれ、チャップリンは20年ぶりにアメリカの地を踏みます。そのアカデミー賞の場でなぜか?黒柳徹子さんがいらしていて、徹子さんを見て「ジャパン!」と叫び、突然泣き出したと言います。

この時、チャップリン83歳、晩年ですね。(1972年

高野虎市さんは、1971年3月19日に亡くなっています。

アカデミー賞の前の年です。

高野さんが亡くなっているのをチャップリンは知っていたのでしょうか?

二人が離れ離れになってから、お話をされたのか?会ったことがあるのか?

その辺は私は、わかりません。

まとめ

まとめとしては、上記のエピソードでチャップリンは日本贔屓なのでした。

これをきっかけにチャップリンの生涯と高野さんを下記にまとめてあります。

チャップリンの生い立ちも、「涙もんです。」「苦労人です。」

 

 

私の好きなチャップリンの名言があります。

 

素敵な画像ですよね。素敵!

 

チャップリンの名言

人に大切なのは、自信を持つことだ!

私が孤児院にいた時、腹をすかせて街をうろついて食い物をあさっていた時でも

自分では世界一の大役者ぐらいのつもりでいた!

つまり勝気だったのだ。こいつをなくしてしまったら、人はうち負かされてしまう。

 

チャップリンの生涯

1889年4月16日ロンドンに生まれる。父と母はともにミュージック・ホールの俳優であったが、チャップリンが1歳のときに両親は離婚。母のもとで育てられる
5歳5歳のとき、母が喉をつぶし、舞台に立つことができなくなる。一家は貧窮生活に陥り、チャップリンが7歳のころに母は精神に異常をきたし施設に収容される。
チャップリンは4歳違いの異父兄と貧民院や孤児学校を渡り歩き、生活のために床屋、印刷工、ガラス職人、新聞の売り子など、様々な仕事に就く。その傍ら俳優斡旋所に通う。
1899年木靴ダンスの一座に加わった。
1908年(19歳)名門劇団に入り、一座の若手看板俳優となる。
1913年(24歳)アメリカ巡業の際に、映画プロデューサーの目にとまり、翌年映画デビュー。チャップリンは映画2作目で山高帽に窮屈な上着、だぶだぶのズボンにドタ靴、ちょび髭にステッキという扮装をし、以降この姿がチャップリンのトレードマークとなった。
1936年(47歳)機械文明と資本主義を批判した『モダン・タイムス』、1940年にドイツのナチス党を批判した『独裁者』を発表。これらは政治的メッセージが強いと受け止められ、欧米や日本などの鋭進的な左右両派から突き上げが激しくなっていく。
1945年(56歳)第二次世界大戦後、東側諸国との冷戦が始まった米国でチャップリンの作風が共産主義に理解を示していると非難される(赤狩り)
1952年(63歳)ロンドンに向かう船の途中、アメリカから国外追放命令を受ける。チャップリンはスイスのアメリカ領事館で再入国許可証を返還。アメリカと決別する。
アメリカを去ったチャップリンは、映画への出演も少なくなり、スイスのブドウ畑を臨む邸宅に移り住み、妻や8人の子供たちと幸せな晩年を送る。
1972年(83歳)アメリカのアカデミー賞名誉賞に選ばれ、20年ぶりにアメリカの地を踏む。この授賞はチャップリンの国外退去を阻止できなかったハリウッドからの謝罪を意味した。舞台に登壇したチャップリンは、スタンディングオベーションで迎えられた。
1977年12月25日クリスマスの朝、スイスの自宅で永眠。88歳であった。

高野虎市の生涯

高野 虎市(こうの とらいち)

1885年 – 1971年3月19日)は、

喜劇王チャールズ・チャップリンの秘書・マネージャーとして有名な人物。広島県安佐郡八木村(現・広島市安佐南区八木 )出身。

←写真の右から2番目

1916年チャップリンに運転手として雇われ、のちに秘書となる。
1932年一時帰国。広島八木の実家に立ち寄り、地元に警鐘台を寄贈する。
1934年~チャップリンの元で秘書を務めた。
1941年アメリカで「スパイ容疑」によって逮捕され、日米開戦後に強制収容所に収容される。
1948年8月に強制収容所から釈放。
1956年日本に帰国して1971年3月19日に死去。

チャップリンの名言

  • 連中の恨みもやがて過ぎ去り、独裁者らも死んでしまう。そして連中が人々から奪った力は、人々に戻される。そして連中が死んでしまう限り、自由が失われることは決してない。
  • 私たちは皆、互いに助け合いたいと思っている。人間とはそういうものだ。相手の不幸ではなく、お互いの幸福によって生きたいのだ。
  • 言葉はとるにたらないものだ。一番大きくても「象」としか言えない。
  • 私は神とは仲が良い。私が対立しているのは人間だ。
  • 私はもうアメリカに用はない。もしイエスが大統領であっても、私はあそこには戻らない。
  • この世界は無情な世界です。人はそれに対処するために無情でなければなりません。
  • 説明しなければ理解できないような美に対して、私はあまり寛容でない。もし創作者以外の誰かによって、その美について補足説明が必要ならば、私はそれが果たして目的を達成したと言えるのだろうかと疑う。
  • 私が想像できる最も悲しい事は、ぜいたくに慣れてしまうことだ。
  • 私は庶民の味方だ。そういう人間なんだ。
  • 忘れないで、いつも身をかがめていたら、何も拾いあげられないんだよ。
  • あなたが本当に笑うためには、あなたの痛みを取って、それで遊べるようにならなければなりません。
  • 行動を伴わない想像力は、何の意味も持たない。
  • 無駄な一日。それは笑いのない日である。
  • 人間というのは、段々年をとると、停泊地が欲しくなるものである。それは長い間に良く知り合った人であり、一番楽しい人である。
  • 私の最高傑作は次回作だ。
  • アイデアというものは、それを一心に求めてさえいれば必ず生まれてくる。
  • 私は悲劇を愛する。悲劇の底にはなにかしら美しいものがあるからこそ、愛するのだ。
  • 完全な愛というものは、もっとも美しい欲求不満だ。なぜならそれは、言葉以上のものだから。
  • 私たちがみんなで、小さな礼儀作法に気をつけたなら、人生はもっと暮らしやすくなる。
  • 権力と威厳を持ちすぎる者は、いつでも最後には人々の嘲笑の的となる。
  • 一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる。
  • 必要なのは知識でなく思いやりである。思いやりがなければ残るのは暴力だけである。心に愛を知らぬものだけが憎しみ合うのだ。人生はもっと美しく、もっと素晴らしいはずだ。
  • わずかの人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。私のほしいのは大衆の喝采だ。大衆が私の仕事を賞賛してくれたならば、それで十分だ。
  • しばしば、とんでもない悲劇がかえって笑いの精神を刺激してくれる。
  • もともと人間の運、不運などというものは、空行く雲と同じで、結局は風次第のものに過ぎない。
  • 人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。
  • 私は雨の中を歩くのが好きなんだ。そうすれば、誰にも泣いているところを見られなくて済む。
  • 死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。
  • 幸福を手にするための戦いは美しいものです。
  • すべてのものに欲望がある。欲望があるから、バラはバラらしく咲き、岩は岩でありたいと頑張っている。
  • 私の苦痛が、誰かが笑うきっかけになるかもしれない。しかし、私の笑いが、誰かの苦痛のきっかけになることだけは絶対にあってはならない。
  • 失敗は重要ではない。自分自身を馬鹿にするのはなかなか勇気がいる。
  • 人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。
  • 浮浪者、紳士、詩人、夢想家、孤独な人、皆いつでもロマンスと冒険にあこがれてるんだ。
  • 下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ。
  • 人に大切なのは、自信を持つことだ。私が孤児院にいたとき、腹をすかせて街をうろついて食いものをあさっていたときでも、自分では世界一の大役者ぐらいのつもりでいた。つまり勝ち気だったのだ。こいつをなくしてしまったら、人はうち負かされてしまう。
  • 笑いとはすなわち反抗精神である。
  • 思想だけがあって感情がなければ、人間性は失われてしまう。
  • 最初から多くのことを成し遂げようとして極端な努力をすると、たちまちのうちに全てを放棄することになる。
  • いいかい、もし、良いと思ったら、どうやろうかなどと決して心配するな。つまり直感だよ。
  • このひどい世の中、永遠のものなんてないのさ。我々のトラブルさえね。
  • 何のために意味なんか求めるんだ?人生は願望だ、意味じゃない。

 

どうでしたか?まさかチャップリンの秘書が日本人だったとは?それもチャップリンに愛されていた。晩年に高野虎市さんと会っていたのでしょうか?

 

❤ 最後まで、ご覧いただきありがとうございます。